さてと。『週刊ヤングジャンプ2017年第11号』「ヒトリアソビ」 (キドジロウ先生)の 感想です。

ヤングジャンプ「シンマンGP」エントリー作品だそうです。最優秀賞には連載権が与えられるという。新人さんの登竜門的な企画みたいですね。
で,この作品なんですが...ぶっちゃけ面白かった。
いやね。客観視してしまえば,ただの「気持ち悪い話」なんですよ。
26歳の社会人にもなってAVでオナニーしたこともなく,高校時代の片想いの相手を妄想してきたオナニー人生。10年間,一人の女性をオナってきたという操の立て方は純情といえば純情ですし,やっていることは自慰好意という変態といえば変態としか言いようがない行為である。リアルだったら素で通報されそうなレベルである。

空しい青春
にもかかわらず「面白かった」と感じてしまうのは,きっと「好きだった人を妄想しながらオナニーする」という高校生ならいかにも経験のありそうな事象に加え,妄想が三次元化したというこれまたオナニー人生驀進してきた童貞くささ...
言うならば「あー,空から可愛い女の子が降ってこねーかな」という妄想が実現してしまったとかいうレベルの漫画的設定がマッチして,一種の「あー...(あるある)」的ものがあるからなんだろうね。

妄想の三次元化
ある種の「共感」。この主人公セイジ君みたいな行為や妄想には個人的には憧れも共感もないのだけれど,「あー,そういう願望を若気の至りで想像することはあるのかもね」的な「あるある」。そんなものがきちんと描かれていると思います。そこが「面白かった」んじゃないかなと思ったり。
先に触れたように,このセイジ君はある意味「純粋」である。たった一人のかつて好きだった女性をずっと想っている(性的に)。まあその性的にってところが一つ間違えれば犯罪的で「気持ち悪い」部分ではあるのですけれど,なんかそういうアンバランスさがうまく描けていますよね。

必然のある自慰
そんな日々から三次元化した妄想とのオナニー生活。これ,うまいですよね。自慰行為していないと妄想(ヒロイン)が消えてしまうという設定は,物語上「妄想の彼女」が存在し続ける理由付けになりますし,そんな彼女とのやりとりがいつしかエスカレートしていく「性的描写」を描く理由付けになる。

必然のあるエロス
これは『ヤングジャンプ』としての新人開拓企画でしょうからね。少年誌ではない,青年誌的な意味づけ,すなわち多少の性的描写を加えてくることは「作品の売り」としてアリでしょうから,そのあたりはうまく作品に取り込めているかな,と思いました。
そしてそれが単に「妄想上のエロイ話」で終わらなかったのは,その妄想三次元の「田村さな」さんとの性交の果てに気付く「気持ち悪さ」である。果てた後に自分のベッドに飛び散る残留物は,それはただの「気持ち悪い行為」に過ぎなかった証左である。

ただの「気持ち悪い行為」
うすうすそれに気付きつつも,結局妄想三次元の「田村さな」さんとそこまで至るまでは止められなかったわけですが,事そこに至ってセイジ君は認めるのである。所詮,それは妄想に過ぎない。
現実の「田村さな」さんとの短い再会,そこにあったのはちょっとばかりの昔の思い出と,そして妄想は妄想に過ぎなかった事実(!?)だった。

妄想の曖昧性
結局,この妄想三次元の「田村さな」さんはどうして現れるのか。本当にただの妄想だったのか。高校時代の「夢」について尋ねられた時の現実の「田村さな」さんの反応,それは本心からのものだったのか。
客観的に見れば妄想としかいいようがない事象,でもどこかで本当にそんなことがあったのだとしたらと思わせるような,青い若者が抱くような妄想の実現可能性。そんな奇妙な残留感が最後の別れで描けていた。そう思います。

「田村さな」さんとの決別,だけが本作品のテーマではなかったと思いますが,最後にそこをきちんと書いたあたり,青臭い青少年の妄想が昇華した感があって,作品としてうまくまとまっていたと思います。
気持ち悪い話と言ってしまえばそれまでだけれど,「面白かった」作品でありました。まる。
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ただまあ,これを「連載」となるとなかなか切り口が難しくなるね。毎回主人公を変えていって,切り口を「妄想の三次元化」と「決別」という風にパターン化していけば数話構成のオムニバスは作れそうですが。うまくやらないとワンパターン化しやすい部分でもありますし,つねにオナニーさせておくわけにもいかんでしょう。
故に,「ヒトリアソビ」という題材でどこまでいけるかは分かりません。でも,個人的には才能のある漫画家さんだと思いました。いずれ「当たり」がくることを祈っております。まる。
画像はヤングジャンプ2017年第11号「ヒトリアソビ」より引用しました。