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古味直志 『eの原点』 感想

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さてと。『週刊少年ジャンプ2018年第06号』 古味直志『eの原点』 の感想です。


あの古味直志先生の読切が帰ってきました。
古味先生といえば読みきりには定評のある漫画家さんということもあり,久々の新作はどんなもんかいなというスタンスで読んでみました。なるほど・・・なるほど・・・・。

スッゲーぶっちゃけて言えば「かなり微妙」といった感じでしょうか。
話の展開は一本道で分かりやすい。物語の組み立ては前後関係を考えて作ってある。でも「それだけ」かなと。


良くも悪くも,古味作品の「微妙な部分」が盛り込まれた作品になっているように感じました。みなさんはいかがでしたでしょうか。


...
......


ぼくが「うーん」と思った点は大きく3つあります。「素材の扱い方」「物語の展開」「キャラの扱い方」です。


1.「素材の扱い方」

今回の作品の御題は「e-sports」です。作中にも説明があったように,競技性の高いゲームを種目として取り上げ,その勝敗優劣を争うものですね。分かりやすいのは本作品でも取り上げられた対戦格闘ゲームでしょうか。

古味先生自身,かなりのゲーマーであることは各所で言及されていますので先生的には「かって知ったる自分の庭」的なジャンルなんだと思います。実際,この物語の主題の一つは「ゲームといえども真剣勝負の世界であり,そうした世界で一生懸命取り組む人間はたくさんいる。それは一つの競技であり,真剣なやり取りをするに値するものであり,プロとして職業にすらなり得るものである」というメッセージを伝えたいのではないかと感じ取れなくもありません。


で,あるならば,そのe-sportsの魅力を漫画表現で徹底的に描写してほしいところです。

しかしながら,そのあたりの描写はあまり深く掘り下げられておらず,どちらかというと「言葉」や「説明」によって補われている部分が大きかったように思います。ヒロインや主人公の人生をも左右するような大きな主題なのに,肝心のe-sprotsの魅力が絵や展開から伝わってこない。


最後に主人公が全国大会で優勝するシーンで終わるわけですけれど,ちょろっとガシガシと殴り合っているゲーム画面が描かれるだけで,大半が主人公のモノローグで占められています。こういうのはちょっともったいないかなと。読切という紙幅が限られる条件は考えるにしても,「e-sports」の魅力を言葉や説明によって示す部分が大きいというのはちょっと物足らない。

なんというか,せっかくの素材を上手に活かしていないように思えるんですよね。お話の構成だけならば,これがe-sports以外の別のものでも成立してしまう。でも敢えてe-sportsを取り上げたのは,古味先生自身がその素材にほれ込んでいて,それを漫画で表現してみたいと思ったからだと一読者なりに感じます。

で,あるならば「e-sports」の魅力を漫画描写でどのように伝えるか。もし連載を念頭に置くならば,素材をフルに扱う必要があるように感じました。



2.「物語の展開」

これは次の「キャラの扱い方」とも連動している部分なのですが...。
今回のお話もまた,古味先生なりのロジックで前後関係がきちんと整うように作られていることは認めます。


ゲームに一生懸命な青年がいて,それを見ているヒロインがいる。接点が無かったような二人がゲームを通じて接し,単なるゲーム好きな少年だった友内工に「e-sports」を知らしめる。新たな目標を持った工とその一歩先を行く委員長,その委員長が事故に倒れ,彼女の代わりにプレーをして優勝する...。ゲームがゲーム以上のものとなった瞬間を描ききる。

頭空っぽにして読めば「面白い」のかもしれません。でも物語の展開がどうしても「展開のための展開」になってしまっているように感じてしまって,没入できない。ニセコイ以来感じていた,「ロジックは成立するのだけれどスッキリしない」というアレが蘇ってしまうのです。


この物語の主題の一つが「ゲームとは単なる遊びではなく,一人の人生を賭け得るようなe-sportsである。そんなe-sportsの醍醐味を主人公の原初体験を通じて描く」という部分であるのは「eの原点」というタイトルからも,ラストシーンからも見えてくるわけです。

その最後のピースを描くためには,大会で優勝するのは「主人公(工)」でなければならない。工が大会に出て優勝する為には,もう一人のヒロインは「出場できない状況」を作らなければならない。出場できない状況をつくるには「ヒロインがゲームができなくなる」ようにしなければならない。ヒロインがゲームをできなくなるためにはヒロインが「事故で怪我」をしなければならない...。


こうした逆アセンブルによる物語構成は,物語の文脈を一本筋の通ったものにしてくれます。そうなんだけれど!


ロジックはつながってもそれを情緒的に読者が受け入れられるかというのは別問題です。

e-sportsの素晴らしさを読者に伝えたいのに,その第一人者であるヒロインを「事故に合わせる」とか。事故に合わせるために主人公へのプレゼントを「落っことす」とか。そういう個々の事象の納得感,言い換えれば「読者共感性」がどうなっているのか,あまり検証されていないように思えるのです。


筋が通っているのだからいいじゃないか,では済まないのが「共感性」です。

ニセコイ終盤からこっち,古味先生の作品はロジックは成立しても共感は難しいといった作劇が続いているように思います。これは物語づくりにおいて致命的な部分だと思いますので,本作に限らず「自ら立てた筋書きを追ってみたとき,その論理に"共感できるか"」検証されることを強くお勧めしたい。

「ご都合主義」という評価のされ方がありますが,結局のところ「共感性が足らない」からご都合展開と思われてしまうのだと僕は思います。ここを見直せば格段に良くなるのではないかな...と期待したいところです。



3.「キャラの扱い方」

とまあ前段を受けての話です。
ここまで美菜原委員長のことを「ヒロイン」と称してきたわけですが,実際問題彼女はヒロインとなっているでしょうか?

なるほど,夢を目指して一生懸命頑張ってきたものが絶たれそうになり,絶望しそうになった時に主人公の活躍に拠って励まされるヒロイン。そんな風に描かれていますけれど,そもそもそのヒロインの状況は「物語の展開」の都合上作り出されたものですよね。

なにが言いたいのかといえば,結局委員長はヒロインというよりも主人公の最後のシーンに至るための「舞台装置」にしかなっていないということです。これはニセコイのときにも感じたのですけれど,物語の展開のために登場人物が展開に沿った言動をし,主人公を導いていく。これが舞台装置でなくて何でしょうか。

ヒロインの委員長が主人公の物語の導き手にしかなっていない。そこにキャラとしての限界を感じざるを得ない。なにより,キャラを生み出した古味先生自身が登場人物に対して「情」というものを抱いているのかよく分からない。

物語の「駒」以上の愛着を持っていれば,そう簡単に再起不能かもしれない麻痺なんて描写するだろうか。もうちょっと救いのある表現をするのではないか。そんな風に感じてしまうのですよね。いくらでも別の表現や展開が考えられる中で,そういうキャラの扱い方をするところがイマイチに感じられてしまうのは僕が感傷的過ぎるのでしょうか。


それからもう一点。「キャラ」に関してなんですけれど,他ならぬ主人公の友内くんのことです。

ニセコイ以来,古味先生は主人公役の男子の髪に「髪留め的なもの」をつけるのが定番となっていますね。

いやまあ,作者的にはジャンプ最長ラブコメの主人公がつけていたものですから。それにあやかってなのか,何なのか分かりませんが,古味作品の「特徴」として継続されるつもりなんでしょうか。まあそれはそれで,やりたいのならかまわないのですが,ぶっちゃけその男子の髪留めはどうしても「一条楽」さんを想起させますよね。

作者的に一条楽をどう評価しているのか分かりませんが,一条楽に対するイメージが「芳しくない」という読者も多くいるように見受けられます。男子の髪留めはどうやったって一条楽を思い出させてしまうだけに,作品の主人公に髪留めをさせるのは避けたほうが,長期的には「吉」と出るような気がしますねえ。まあ個人的な意見ですが。


というわけで,「ダブルアーツ」の初心に帰られて,改めてキャラ設定を考えられることもお勧めします。まる。






古味先生の初の連載,ダブルアーツ。改めて読んで見ると新鮮かも。





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