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『ぼくたちは勉強ができない』 問74. 時に前任者は艱難たる [x] にも閲するものである 感想

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さてと。『週刊少年ジャンプ2018年第36・37号』 「ぼくたちは勉強ができない」 問74. 時に前任者は艱難たる [x] にも閲するものである の感想(ぼく勉 74話感想)です。


今さらぼく勉の感想かよ...という気もしなくもないですが,お盆休みということもあり遅まきながら問74の感想など書いてみようと思ったり。

そんな問74はローテーション通り桐須真冬先生の当番回。わっかりやすい順番ですね。文化祭以降,ほぼ人気投票結果をボトムアップする形でここまで進行しております。


...
......


で。
今回は,家庭科の調理実習の代打役をやることになった桐須先生とその準備に巻き込まれた唯我成幸という展開でお話が進みます。



だいたいこんな話


まあ,相変わらずこの辺の「緩さ」がぼく勉ではありますよね...。

当たり前のように成幸は桐須先生のプライベートに関わっていき,部屋に入り,掃除や料理を手伝っていく。学校にばれたら間違いなく「事案」なわけですが,成幸の清掃は拒否しないあたりといい,桐須先生の線引きが緩々になっていることといい。


そして世界史の科目担当が家庭科の代打をするという現実にはあり得ない展開も,まあジャンプコメディならですよね。筒井先生の中では教科ごとに教員免許状があるということは無かったことになっているのか,あるいは桐須先生は世界史と体育と家庭科の教員免許状を取ってあることにするのか。

多分にそういう現実との整合性は取らないというのが「ぼく勉」としての線引きだと思いますし,読者もそれを受け入れているのだと思っていますけれど。



......さて,実際に繰り広げられるコメディ展開はまさに「夫婦ですか!」の世界であって,二人の関係性を表していますよねえ。



会話が夫婦

重い荷物を運んであげたり。エプロンがなければ買いに行ってきてあげたり。キッチンが汚れていればきれいにしてあげたり。なにそれ...成幸のやっていること,ぼくの日常とあんまり変わんないじゃないの...(ちょ)


そんな成幸に対してお礼のつもりか夕食を食べていくように言ったり,先生がいつものスペックで破滅料理を繰り出せばハンバーグづくりを手伝ってあげたり。もう一度言います。


トップ姉ブリーダーも満足

「夫婦ですか!」

てもんだよ,成幸くん!






......しかしまあ,そんな二人のやり取りから浮かびあがるのは,「教師」という役割を通じて描かれている桐須真冬と唯我成幸の関係性ですかね。

職業人としての教師である桐須真冬と。物語の役割として与えられた教師役である唯我成幸と。そんな二人の共通点と相違点,そして結びつき。


桐須先生は言います。
教師は苦手なことがあっても生徒たちには「できない」と思われたくないですもんね...という成幸に対し,



成幸の問い


「私は別にどう思われようとかまわないわ」
「疎まれようと 蔑まれようと」

「ただ...」
「苦手なことだろうと何だろうと 教師はすべからくできる限りの準備を尽くして授業に臨むべき」

「有限」
「彼らが学び育つ限りある機会を私のせいでフイにさせるわけにはいかないでしょう」


なるほど。
ここに,成幸と桐須先生の共通点があるね。

成幸もまた「できない娘」に対して教える役割をもった教師です。成幸もまた,睡眠時間を削っては彼女たちが「できるようにある」ための教材やノートを作り続けてきました。それこそ第1話から,ずっと。

成幸も言葉に出してはいなくても,桐須先生と同様に「教師である以上できる限りの準備を尽くして教えに臨んでいる」わけです。彼女たちの限られた成長の機会の中で,最大限の効果を発揮できるように。

こうしてみると目標の設定の仕方が「平行線」な二人だけれども,実は二人は同じタイプの教師であることがわかります。




一方で違いもある。

最大限の突っ込みどころは,そんなこと言いながらも「できる限りの準備」をしていなかったところでしょうかね。レシピも見ずに我流とライブ感でハンバーグづくりをしようとする。そんな怠慢先生に成幸は怒る。



成幸,怒りのタイマン

成幸の怒りの原因は,直接的には「食材の無駄遣い」についてだったのでしょうけれど,後から述べているように基本もしっかりしないまま応用に走る,テキストも読まずに勉強に臨む,そんな姿勢に相通じるものがあったからですよね。

言うならば,「有限不実行」であった部分に成幸は同じ教師として「怒り」を覚えたのでしょう。有言実行の成幸と,真逆の桐須先生。そこは対比的でしたね。



ここで面白いと思うのは,この学校外の桐須先生のプライベートな部分においては成幸が教師役になっていて,怠慢先生が「できない娘」になっている点ですよね。



できない娘,桐須真冬

二人の関係性は他のヒロインと違って教師同士という立場の共通点がある一方,私生活においては料理・清掃ほかもろもろ全てにおいて成幸が指導的立場に立ち,怠慢先生がフォローされる側に回る。

こうしてみると,桐須先生もまた他のヒロイン同様に「できない娘」として成幸に教えを乞うという関係性なんだということがわかりますよね。成長が微々たる点も含めて,他のヒロインと同じ関係なわけです。

桐須先生が成幸に対してポンコツぶりを見せてしまったり,教師としてあるまじき二重規範をみせてしまっているのは,怠慢先生が「できない娘」の立場になっている状態においては無意識のうちに成幸に「甘え」てしまっているわけだ。甘えていなければこんな顔できませんよ。ほら。



怠慢先生は最高のプレーをした

つまり何が言いたいのかというと,この桐須先生のむくれ顔が最高にお可愛い。そういうことになります。まる。



...
......




かつて桐須宅を掃除した際に成幸が見つけた真冬先生のフィギュアスケート時代の写真。それを隠しながら,桐須先生は言っていました。フィギュアスケートの短い選手時代の中で,別のことに取り組み二度と戻れなくなった女がいた,と。

これは桐須先生本人のことであることは暗黙の了解であるわけですが,そのニュアンスからしてみれば,桐須先生が逸れた「脇道」の結果,現在の教師という職業に結びついているかのようにも思えます。


桐須真冬の教師像

しかし,今回のお話描写から感じ取れるのは,桐須先生は「教師」という仕事に対してどのようにあるべきかという教師像をもち,それを実践しようという心構えをもつ女性であることが示されていました。


その姿勢からは教師という職業に対する真摯な気持ちが示されており,決して「やむを得ない選択として付いた職業」というニュアンスはありません。となると,桐須先生がその時とった「脇道」とはなんだったのかという疑問が生じますが,それはまた別のお話。






最後に余禄。



言い訳(しゃらんきゅー)


「久しぶりに来た」という表現からも,そんなに頻繁に来ているわけじゃないんだよという伏線(言い訳)が読者に示されているのが分かります。

一応,教師の家に頻繁に上がり込んでおさんどんをする...なんてのが双方の問題行動となりかねないだけに,そういう線引きはなされているのね。



次。
桐須先生と成幸の男女としての距離感について。


「妙な誤解を起こさないように」とくぎを刺す桐須先生のそれは,成幸を男性として意識したうえでの自己防衛なわけです。

それに対して成幸は「わかってなく」て,女性として意識していないように描かれている。しかし次の場面で桐須先生の髪を結うシーンでは,女性を意識してしまっている。




汗とせっけん(成幸ver)

「いい匂い」と成幸が感じるのは,相手に「女性」性を感じるときなわけですけれど,師匠・理珠ときて桐須先生にもそれを感じる瞬間がやってまいりました。



ハンバーグをつくる姿が「艶めかしい」というのはさすがに「は?」でしたけれど,艶めかしさもまたうるかに対して感じていたものでしたよね。

成幸が桐須先生を「女性」として意識することがあったのは以前からありましたけれど,今回のお話においても引き続き先生を女性として意識してしまうシーンが入ったのはニヤリングさせられたり。


まあそれが「恋」に結びついていくものかどうかは,相も変わらずわかりませんが。成幸はいろんな女子にドキドキするけれど,恋愛的にドキドキしたのはこれまでうるかだけだからなあ...。



そして最後に,プライベートでは崩壊しているけれど学校では(成幸のフォローのおかげもあって)教師している恥ずかしい真冬さんの演説をお聞きください。



立てよ国民!

...ところで,授業中になんで成幸はプリントもって廊下歩いてんの...? というところで,再度まる。





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*画像は『週刊少年ジャンプ』2018年第36・37号 「ぼくたちは勉強ができない」問.74 より引用しました。

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